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高知地方裁判所 昭和61年(人)1号 判決

請求者

甲山花子

右代理人弁護士

横川英一

被拘束者

丙山太郎

右代理人弁護士

松岡章雄

拘束者

乙山一男

右代理人弁護士

細木歳男

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者に引き渡す。

三  本件手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

2  本件手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者と拘束者は、昭和五八年一〇月一五日結婚式を挙げ、同年一一月四日、婚姻の届出をした夫婦であり、被拘束者は、昭和五九年七月二二日、請求者と拘束者との間に出生した長男である。

2(一)  請求者は、結婚後、拘束者及びその両親と同居していたが、両親が収入の一切を握り、拘束者夫婦が独立した生計を営めなかつたため、拘束者に対し、独立した生計を営めるように頼んだが、拘束者は耳を貸そうとせず、請求者よりも両親と一緒にいることを好むほどであつた。

(二)  こうして請求者と拘束者の間は冷えた関係となり、昭和六〇年一〇月五日、請求者は被拘束者を連れて実家に帰り、別居状態となつた。

(三)  別居後、請求者は、自己の両親の援助を得、被拘束者を監護養育していた。

3  昭和六〇年一二月一〇日、拘束者は、その妹の夫であるFを同道し、請求者の実家に訪ねてきたが、請求者の隙をみて、被拘束者を連れ去り、それ以降、請求者の要求にもかかわらず、被拘束者を引き渡さない。

4  本件のように、夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づき、その共同親権に服する幼児の引渡を請求した場合、拘束の違法性の顕著性は、夫婦のいずれに監護されるのが幼児のために幸福であるかを主眼として判断すべきところ、一般的に、被拘束者のような年代の乳児は、母親のもとで監護されるのが乳児自身のために幸福であることのほか左記の諸事情を併せるとその違法性は顕著である。

(一) 拘束者側の養育環境についてみるのに、拘束者の家庭は、拘束者及びその両親の三名であるが、拘束者が家業のハウス栽培経営の中心となつているため、農作業に時間を取られ、結局は、拘束者の母が被拘束者の養育、監護に従事することになる。また、拘束者は、請求者と同居中でも積極的に育児に協力しようという姿勢がなかつた。

(二) これに対し、請求者の家族は、請求者、その両親、弟及び祖母の五名であるが、両親はともに健康でありその収入も標準以上であることから、請求者が当分働かずに被拘束者の監護養育に専念することが可能であり、祖母も弟も請求者が被拘束者を養育することに積極的である。請求者は、短期大学で幼児教育を専攻し、保母としての就労経験も有し、その健康状態も育児に全く支障がない。

(三) 従つて、本件では請求者が被拘束者を監護する方が、被拘束者にとつてより幸福であることは明白であるから、拘束者の被拘束者に対する拘束は違法である。

5  よつて、請求者は、人身保護法二条、同規則四条により、救済を請求する。

二  請求の理由に対する認否

1  請求の理由1の事実は認める。

2  請求の理由2の(一)のうち、請求者が結婚後、拘束者及びその両親と同居していたことは認め、その余の事実は否認する。同(二)の事実は認める。同(三)の事実は否認する。

3  請求の理由3の事実は認める。

4  請求の理由4の冒頭部分の主張は争う。同(一)のうち、拘束者の家族が拘束者及びその両親の三名であることは認め、その余の事実は否認する。同(二)のうち、請求者の家族が、その両親、弟及び祖母の五名であること並びに請求者が短期大学で幼児教育を専攻し、保母としての就労経験を有していることは認め、その余の事実は否認する。同(三)の主張は争う。

三  拘束者の主張

1(一)  拘束者は、東京の電子工学の専門学校を卒業したが、郷里でハウス園芸に専心することを決意して帰郷し、現在では約一反三畝のハウス園芸をしている。なお、父親も約五反五畝の水稲栽培のほか、約一反六畝のハウス園芸をしている。

拘束者は、請求者と婚約するに際し、自己の家庭環境を説明し、請求者も農業に従事してくれるよう理解を求めたところ、請求者もこれを了承したので、請求者と結婚した。

(二)  ところが、請求者は結婚後まもなくして、拘束者に対し、貯金通帳を渡すことや住居を改造することを要求するなど、日常生活に不満を述べ、農作業にも従事しようとはしなかつた。また、突然頭痛を訴え、大声を発したりすることもあつた。

(三)  昭和六〇年一〇月五日、拘束者は肋間神経痛の治療のために須崎市内の病院に出かけ、帰宅したところ、請求者は、被拘束者を連れて大野見村の実家に帰つており、その後拘束者及びその両親等が右実家に赴き、拘束者の許に戻るよう説得したが、請求者はこれに応じようとせず、また、被拘束者を引き渡そうともしなかつた。

(四)  このように、請求者との話し合いが進展しなかつたので、拘束者は、正月中でも被拘束者を拘束者宅で過ごさせようと考え、昭和六〇年一二月一〇日、妹の夫であるFと共に請求者の実家に赴き、請求者に対し、被拘束者を連れて帰ると告げ、同人を拘束者方に連れ帰つた。

2  夫婦関係の破綻に瀕している夫婦の一方から他方に対する人身保護法に基づく幼児引渡請求は、夫婦のいずれに監護させるのが幸福に適するかを主眼として、子に対する拘束状態の当不当を定め、その許否を決すべきところ、左の事情によると、拘束者による拘束の違法性が顕著であるとはいえない。

(一) 拘束者側の事情及び拘束者方における被拘束者の成長状態は、次のとおりである。

(1) 現在、被拘束者は、拘束者の母によつて監護されている。拘束者の母は、これまで従事していた農作業を止めて被拘束者の監護に専念しているが、拘束者方の農作業は、拘束者、その父及び常雇同様に雇用している大代鶴子の三名で十分まかなえる。

(2) 被拘束者は、健康で、誰にも人見知りしない性質であり、現在、拘束者や祖父母に慣れ親しんでおり、何ら精神的動揺も認められない。

(3) 拘束者は勤勉実直で農業のかたわら、社会活動にも取り組み、地域の農村振興、防災に力を尽くしている。また、その父母も農業に勤勉に従事してきたもので、近隣の信望も厚い。

(4) 現在、拘束者らは、被拘束者の食事に心を配ることはもとより、自宅の庭に砂場を設けて近所の子供と遊ばせるなど気を配り、農作業が終われば、拘束者又はその父が被拘束者を風呂に入れてやつたり、時には、拘束者が被拘束者を乗せてドライブするなど、被拘束者を中心に、明るい家庭環境を作つている。

(5) 拘束者方は、近隣の住民と親交があるほか、親族血縁も多く、親睦も密であるが、これら近隣の住民及び親族血縁も被拘束者を暖かく見守つてくれている。

(二) これに対し、請求者側の家庭環境は、次のとおりである。

(1) 請求者の父は観光バスの運転手、母は大野見村のホームヘルパーにそれぞれ従事して日中家を留守にすることが常であり、その収入も必ずしも多くないうえ、請求者の弟は独身で、農業を始めたばかりであり、祖母は七七歳の高齢であるから、請求者が父母の扶養に十分頼れるとまではいえない。

(2) 請求者は、強情な性格で、拘束者と同居中も妊娠後一切の夫婦関係を拒み、また、農作業を拒否しながら、日常の生活には不満を述べるなど、人間的情愛に欠ける面があり、被拘束者の将来によい影響を及ぼすとは考えられない。

(3) 更に、請求者には、てんかんの持病があり、拘束者との同居中もこれに起因して頭痛を訴え、また、突然大声をあげるなどの非常識な言動もあり、被拘束者の精神的成長過程で、悪影響を及ぼすおそれがある。

(三) 右(一)、(二)を検討すれば、被拘束者に対する拘束者の拘束は、被拘束者にとつて幸福でないことが顕著であるとはいえず、右拘束に違法はない。

3  よつて、請求者の本件人身保護請求は、理由がない。

第三  疎明関係〈省略〉

理由

一請求の理由1及び3の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二拘束の有無及びその適否について

1  被拘束者は、昭和五九年七月二二日出生し、現在一歳五か月の幼児であるから、拘束者が監護方法として被拘束者を手元に置く行為は、人身保護法及び同規則にいわゆる拘束にあたる。

2  ところで、人身保護法による救済の請求においては、同規則四条本文により拘束の違法性が顕著であることがその要件とされているが、本件のように夫婦関係が破綻に瀕しているときに、夫婦の一方が他方に対し、同法に基づきその共同親権に服する幼児の引渡を請求する場合には、子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきものではなく、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮して、その請求の当否を決すべきもので、右拘束状態の当不当を決するについては、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるのが相当である。そこで、以下、拘束に至つた事情、当事者双方の監護能力及び現在の被拘束者の境遇等について検討する。

(一)  前記争いのない事実、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が一応認められ、前記〈証拠〉中この認定に反する記載部分及び供述部分は前掲〈証拠〉に照らし措信できず、他にこの認定を覆すに足りる疏明はない。

(1) 請求者は、昭和五六年三月に短大の児童教育科を卒業後臨時保母などをしていたが、昭和五八年五月にハウス園芸に従事していた拘束者と見合いをし、交際の後、同年一〇月一五日に結婚式を挙げ(婚姻届同年一一月四日)、拘束者方で拘束者の両親と同居(但し、納屋の二階を改造して居住。)し、新婚生活を始めた。ところが、請求者は、拘束者が自己のビニールハウスを所有しながら、両親と同一の家計で、経済的には必ずしも独立していないことに不満を抱き、請求者に貯金通帳を管理させることや、拘束者と請求者とで独立した生活ができるよう、住居を改善することなどにつき、何度も拘束者に要求した。他方、拘束者は、請求者と婚約する際に自己の家庭環境を説明し、請求者にも農作業に従事して貰いたい旨要請し、請求者から了解を得ていたが、結婚後は、請求者が、昭和五八年一一月中旬に妊娠したこともあつて、露地の農作業、ビニールハウスで収穫した野菜のパック詰め等の軽作業を手伝う程度で、ビニールハウス内での農作業にはほとんど従事しなかつたので、拘束者は請求者に不満を持つた。このように、拘束者と請求者との結婚生活は、双方が予想していたものとは異なつていたところから、請求者、拘束者双方とも、相手方に対し、平素から心にうつ積するものがあり、その夫婦仲は必ずしもよくなかつた。

請求者は、昭和五九年七月二二日に土佐市内の病院で被拘束者を出産し、再び拘束者方で生活を始め、専ら被拘束者を監護するかたわら、時折露地での農作業に従事していたが、昭和六〇年一〇月一五日、拘束者が外出していた間に前記の不満から拘束者を非難する置手紙を残し、拘束者らに無断で、被拘束者を連れて大野見村の請求者の実家に帰つた。このため、拘束者及びその両親らは、その後も右実家を数回訪問し、請求者に対し、拘束者方に戻るよう懇願したが、請求者はこれに応じなかつた。

このように、拘束者と請求者との話し合いは進展せず、請求者が実家で被拘束者を監護し、拘束者に引き渡そうとしなかつたことから、拘束者は、せめて正月の間位は被拘束者を手許に置いて過ごすべく、昭和六〇年一二月一〇日に妹の夫であるFと請求者の実家を訪れ、被拘束者を連れ出し、同日以降、拘束者方で被拘束者を監護している。

(2) 被拘束者は、出生直後及び請求者の実家で生活していた約二か月間を除く出生後のほとんどの期間を拘束者方で養育されてきたが、これまで大きな病気もせず、健康で元気な男の子に育つており、現在は、拘束者方の砂場(最近、被拘束者のために設置された。)等で近所の子供たち(その中には、被拘束者と同年齢の幼児もいる。)と遊び、現在の環境に親しんでいる。また、被拘束者は、人見知りをしないので、近隣住民や拘束者の親族にもかわいがられている。

昭和六〇年一二月一〇日以降、被拘束者の監護は、主として拘束者の母が行つているが、農作業の合間、休日などには拘束者及びその父が行うこともある。

(3) 請求者の家族は、請求者、観光バスの運転手をしている父(五四歳)、大野見村にホームヘルパーとして勤務している母(五一歳)、約一町一反の農地で農業を営む弟(二一歳)及び祖母(七七歳)の五名で、主として請求者の両親の給与(年間七一〇万位)で生計をたてているが、もし請求者が被拘束者を引き取ることになつても、少なくとも、被拘束者が小学校に入学するころまでは、請求者の両親が請求者及び被拘束者を扶養することは可能である。

請求者は、勝手な性格で、結婚後も両親から経済的に必ずしも独立しようとしない拘束者に不満を抱き、別居するに至つたものであるが、母である自分が被拘束者を育てるべきであるとの信念を有し、今後、自己の手許で被拘束者を監護することになれば、同人が小学校に入学するまでは、大野見村の実家で父母の扶養の下に、その監護に専念し、その後は、右実家からの通勤が可能な場所で就職し、同人を養育する予定である。なお、請求者は、拘束者と同居中、たびたび頭痛を訴えたため、昭和六〇年九月以降数回にわたつて専門医の診察を受けた結果、てんかんの症状があると診断されたが、投薬によつて治療できる軽度のもので、日常生活又は被拘束者の監護上大きな支障となるほどのものとはいえない。

(4) 拘束者の家族は、拘束者、その父(六〇歳)及び母(五七歳)の三名で、拘束者がハウス園芸用に一反三畝、父が水稲及び露地栽培用に五反五畝、ハウス園芸用に一反六畝の農地をそれぞれ所有し、合計で年間約四六〇万円の収入を挙げている。現在、母はこれまでしていた農作業をすべて止め、被拘束者の監護に専念しているが、拘束者方の農作業は、拘束者、その父及び常雇いの大代鶴子の三名で十分にまかなえる。

拘束者は、請求者と同居中も被拘束者を入浴させるなどの監護をしていたが、現在では、被拘束者を父親として愛情をもつて監護したいとの強い希望を有している。また、近隣住民や拘束者の親族も拘束者らを暖かく見守つている。

(二)  右認定の事実によれば、請求者及び拘束者は、いずれも父母として被拘束者に対する愛情に欠けるところはなく、双方とも被拘束者の幸福を願い、同人を監護する強い希望を有しているものと認められる。そして、請求者及び拘束者自身並びにその家族をも含めた双方の家庭環境に照らせば、請求者及び拘束者のいずれについても、被拘束者を監護するに不適当な事情は、特に見出せない。

しかしながら、右認定事実を前提とする限り、現時点において、請求者の側で被拘束者を監護することが、拘束者の側で同人を監護することに比べて同人の幸福に合致するとまで即断することはできず、また、拘束者が被拘束者に対する拘束を開始した状況についても、これだけを取り上げて一方的に拘束者側を非難することもできないことをも考慮すれば、拘束者のする監護をもつて、被拘束者の幸福に合致しない不当なものであるとはいえない。

3  そうすると、本件における拘束者による被拘束者の監護状況をもつて、人身保護規則四条本文所定の拘束が違法になされていることが顕著な場合にあたると認めることはできない。

三よつて、請求者の拘束者に対する本件人身保護請求は理由がないからこれを棄却することとし、人身保護法一六条一項により被拘束者を拘束者に引き渡し、手続費用の負担につき、同法一七条、人身保護規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山脇正道 裁判官前田博之 裁判官田中 敦)

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